■この時間から更新してみる。
従姉妹が家に来るんでね。

■東方の新作発売!
一瞬エイプリルフールネタかと思った。3月なのに。
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タイトルはダブルスポイラー~東方文花帖!
難易度は高めらしいので私にぴったり!
詳しい事はココを見よう!!
例大祭で配布らしいんで重い腰を上げて行こうと思います。
手に入れたら早速その場でプレイだ!
東京か~。
兄の家に上がりこんでやりますか。

■津波って火山の噴火でも起きるらしいですよ。
↓津波が起きる主な原因
■地震
断層が活動して地震が発生した時に、海底にまで断層のずれが達して海底面が上下に変化すると、海水までもが上下に移動させられてその地形変化がそのまま海面に現われ、水位の変動がうねりとなって周囲に拡大していき、津波となる。
■山体崩壊等による土砂や岩石の大量流入
大部分は地震津波に比べてはるかに規模は小さいが、状況によっては地震が原因の津波と遜色がないほどの大津波が発生することもあると言われ、また発生地点に接して人口密集地帯があると大被害を引き起こす。これらの津波は海沿部で起こる事が多いが山間部でも、同様に山体崩壊が起因でダム湖などの湖沼でも発生する。
■海底火山活動
海底の地形に大きな変動がなければ、爆発活動だけでは大きな津波にはならない。また、仮に海底地形の変動があっても、その範囲が小さければ津波の波源も小さくなり、発生した津波はすぐに分散してしまう。
■巨大隕石の海への落下。
巨大隕石が海に落下すれば津波が起こると考えられる(衝突津波)。
二つ目の山体崩壊等による土砂や岩石の大量流入による津波は長崎でも発生した事があるのです!
その名も「島原大変肥後迷惑」!
発生した場所は昨日も紹介した雲仙普賢岳の近く!
以後丸パクリ

<島原大変肥後迷惑>
1792年(寛政4年)に肥前国(現在の長崎県と佐賀県)でおこった雲仙普賢岳の噴火およびその後の眉山の山体崩壊とそれに起因する津波災害。
津波は島原対岸の肥後国(現熊本県)にも大きな被害を与えたのでこのように名付けられた。
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<概要>
雲仙普賢岳の火山活動により島原地方(現在の島原市)で有感地震が続き、その後普賢岳から噴煙が上がり、溶岩流や火山ガスの噴出も見られるようになった。活動が収まりかけたかに見えた旧暦4月1日(新暦5月21日)、大地震によって城下町の背後の眉山が大規模に崩壊し、大量の土砂が島原の街を通って有明海へ向かって流れ落ちた。これを「島原大変」という。この時の死者は約5000人といわれている。
有明海に達した土砂の衝撃によって発生した高波が、島原の対岸の肥後国天草に襲いかかった。これを「肥後迷惑」という。肥後の海岸で反射した返し波が島原を再び襲った。津波による死者は約10000人といわれている。
島原大変肥後迷惑による死者は合計15000人にも及び、有史以来日本最大の火山災害となった。
<序章>
1791年(寛政3)末ごろから、雲仙岳西側で有感地震が多発。震源が徐々に普賢岳に向かって行った。1792年の新暦2月、普賢岳で噴火が始まった。この時は火砕流はなかった。溶岩は2ヶ月掛けて2km、千本木という部落まで流れて止まった。その後、地震は島原の近くに震源を移し、有感地震がなお続いた。
新暦4月21日からは、島原近辺での地震活動が活発になった。
<山体崩壊>
群発地震が収まりかけた新暦5月21日の夜、2度の強い地震が起こり、眉山の南側部分が大きく崩れ、大量の土砂が島原城下を通り有明海になだれ込んだ。眉山崩壊の原因については、直接の火山活動によるものか、雲仙岳の火山性地震によって誘引されたものであるかは、現在でも定かではない。
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<津波>
その衝撃で津波が発生し、対岸の肥後天草でも多くの人が命を落とした。死者・行方不明者15000人のうち約3分の1が肥後領側で亡くなったので、「肥後迷惑」と呼ばれた。島原地方には今も多くの絵図や古記録が残っている。
<参考>
・『地球をあそぶ―21世紀への伝言』竹内均 リクルート
・『彦九郎山河』吉村昭 文春文庫
まぁ、文章だけでは判りづらい方はぜひとも雲仙岳災害記念館に行ってみましょう!

■何の話をしてるやらです。
さらば。